2019年10月20日
からくり村(Ⅲ)を新設..移行します!
からくり村(Ⅱ)が許容容量満杯になった為、新たに《からくり村(Ⅲ)》を登録、移行致します!
:からくり村(Ⅲ)及び過去記事へは右サイドバーのファミリーサイトのからくり村(Ⅲ)(Ⅰ)からジャンプ..ご覧ください
歴史散策シリーズの途中での移行になって、区切りが分り難いですが..ご容赦くださいませ
以降、引き続き投稿を続けますよろしくお願い致します、 お手数ですがブックマーク等..更新願います..
:そう言えば、イーラパークって いささか許容容量が少ない? 500MBしかないんですよね~
:からくり村(Ⅲ)及び過去記事へは右サイドバーのファミリーサイトのからくり村(Ⅲ)(Ⅰ)からジャンプ..ご覧ください
歴史散策シリーズの途中での移行になって、区切りが分り難いですが..ご容赦くださいませ
以降、引き続き投稿を続けますよろしくお願い致します、 お手数ですがブックマーク等..更新願います..
:そう言えば、イーラパークって いささか許容容量が少ない? 500MBしかないんですよね~
2019年10月19日
歴史散策:旧東海道(7)自動車道
あの宇津ノ谷峠にトンネルが出現したお話は・・四/五回からですが、今回は古代の東海道の「日本坂峠」の「国道トンネル」?
を訪ねました!(^^;.. 近代に入り、様々な移動手段が出現し、中でも自動車は常套手段となって やがてマイカー全盛へ!
街道も時代に合わせて、鉄道・国道へそして高速道路へと、変貌を遂げてきていますよね、こうなれば、所用で歩いて旅する
旅人など皆無? お話のいきがかり上、新旧のトンネルを昔の峠道の視点から訪れてみました・・・

例によって正確な位置はGoogleさんの地図でこのあたりです、縮尺を変えて絶対位置を掌握してください。
2019年10月13日
歴史散策:旧東海道(6)汽車の道
前回(宇津ノ谷峠編)では「明治の東海道」に続き、新設された《大正のトンネル》 や《昭和/平成のトンネル》を訪ねたが
道幅も広くなって車も通れるようになり、国道1号線として君臨 :旧東海道 :というよりも 「現在の東海道」がふさわしく..
押しも押されぬ東海の大動脈.. 国道1号線に発展していましたね(^^ゞ
近代に入り、様々な移動手段が出現し、自動車/汽車に船etc! なかでも「汽車」は中・長距離移動の常套手段となって
やがては、SLが引く汽車から..「電車」の全盛期へ! こうなれば所用で歩いて旅する旅人など皆無?
街道も時代に合わせて、国道や鉄道へそして新幹線へと変貌を遂げてきている・・ そこで..
少し寄り道して..旧街道の峠道の視点から 街道の位置やコース変更にかかわる新旧のトンネルを訪れてみました(^^
《記事は自己転載ですが.. 下の アニメ画像をクリックして、オリジナル記事【撮り撮り日紀】へジャンプ.. ご覧頂けます》





トンネル銀座か! 東海道線と新幹線 東海道線石部トンネル坑門 石部トンネル静岡側坑門




石部トンネル用宗側 新幹線日本坂焼津側 日本坂トンネル焼津坑門 新幹線トンネル用宗側坑門




日本坂トンネル用宗坑門 石部トンネル石部坑門 用宗トンネル石部坑門 用宗トンネル静岡側坑門
明治のトンネル以降は.. おりからの文明開化?拡大する交通量に応じ、自動車や汽車など 諸々の交通機関の発達に
伴って、以降の峠越えはトンネルを作って..越えるが、当たり前になっていった!(^^)!
今回の日本坂峠界隈のトンネルは合計 9本あり、うち鉄道用は「JR東海道本線と新幹線」の2路線、3本あります(^^
と云う事で、旧東海道 :第六回目は、街道は峠越へからトンネルへ!(日本坂峠編) と題し 古代の東海道の日本坂峠
の旧東海道の下をくぐる「鉄道トンネル」を訪ねました! 画像がいささか古いのですが、ご愛敬と.. ご容赦下さい(^^;
2019年10月05日
歴史散策:旧東海道(5)大正の道
《大正のトンネル》 を訪ねてみました.. 開口が大きくなって車も通れるようになり、初期には国道1号線として君臨していた
ここまで発展すると:旧東海道 :というよりも 「大正の東海道」.. と云う方がふさわしいか.. 実は 旧国道1号線です(^^ゞ
これまでに :古代の東海道:蔦の細道:出世街道.. と3つのルートを歩いて来ましたが、どの道も 行く手に立ちはだかる
山を峠越えで通過して来ていましたが.. 隧道の掘削技術が向上し.. 明治のトンネルが出来て.. おりからの文明開化?
自動車や汽車など..諸々の交通機関の発達とともに、以降の峠越えはトンネルを作って..越えるが、普通になった様です
《記事は自己転載ですが.. 下の アニメ画像をクリックして、オリジナル記事【撮り撮り日紀】へジャンプ.. ご覧頂けます》





静岡側からTn右折 直前の橋へ 静岡側の坑門 岡部側の坑門 旧国1も今は県道208号線




岡部側国1Tnの坑門 宇津ノ谷峠界隈マップ 4本のトンネルのいわく 4トンネルのスペック
しかし、今回の《大正のトンネル》は「明治の東海道」とはちょっと違う、実は明治時代に入って、峠を貫くトンネルが
出来た事から、東海道も新たに掘削された《 トンネル》に向かって新しいルートの新道に付け替え移行し始めた!
交通手段の発達で東海道も、自動車で越えられることが条件!となるとトンネル越えが当たり前になりました(^^ゞ
前回のお話に「明治のトンネル」が出現しましたね!新なトンネルが街道のルートを変えてしまった最初の例でした
街道は、より平坦で通りやすく交通量が多くなる様に、ルート変えるのは当然のことですが、その手段がトンネルに
行き着いた!..トンネル掘削技術の台頭ですね!
が、明治のトンネルが、徒歩で行きかう旅人の往来が目的だったのですが 「大正のトンネル」(東海道)はこの地区
最初の自動車も通れるトンネルで、幅広の構造になっています、幹線道路の「国道1号線」の路線にもなっている!
これを期に、かっての峠道は次々にトンネル化され、そのルートもトンネルを掘りやすい位置へと移って行きました。
今回はこんな視点で歩いてみます、
:なお、本編までのお話は :明治 :大正のトンネルとしていますが、実は ここ宇津ノ谷峠には、後にさらなる交通量
の増大に 伴って、新ルートの国道一号線用に :昭和 :平成.. と2本のトンネルが加わって、現在4本のトンネル
が並行している事を追記しておきます!(^^)!
:また、国道1号線の経路は、日本橋を起点の東海道に、京街道の大阪-京都を加えた経路を踏襲していると云う..
例によって、お話の起点「宇津ノ谷峠」の位置はGoogleさんの地図でこのあたりです、縮尺を変えて確認下さい。