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静岡県東部・伊豆 ブログポータルサイト イーラ・パーク
 

2019年10月13日

歴史散策:旧東海道(6)汽車の道

旧東海道 :第六回目、街道は峠越へからトンネルへ!(日本坂峠編)と、古代東海道の麓.. 道路と鉄道トンネルを散策

前回(宇津ノ谷峠編)では「明治の東海道」に続き、新設された《大正のトンネル》 や《昭和/平成のトンネル》を訪ねたが
道幅も広くなって車も通れるようになり、国道1号線として君臨 :旧東海道 :というよりも 「現在の東海道」がふさわしく..
押しも押されぬ東海の大動脈.. 国道1号線に発展していましたね(^^ゞ

近代に入り、様々な移動手段が出現し、自動車/汽車に船etc! なかでも「汽車」は中・長距離移動の常套手段となって
やがては、SLが引く汽車から..「電車」の全盛期へ! こうなれば所用で歩いて旅する旅人など皆無? 
街道も時代に合わせて、国道や鉄道へそして新幹線へと変貌を遂げてきている・・ そこで..
少し寄り道して..旧街道の峠道の視点から 街道の位置やコース変更にかかわる新旧のトンネルを訪れてみました(^^

《記事は自己転載ですが.. 下の アニメ画像をクリックして、オリジナル記事【撮り撮り日紀】へジャンプ.. ご覧頂けます》
歴史散策:旧東海道(6)汽車の道

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トンネル銀座か! 東海道線と新幹線 東海道線石部トンネル坑門 石部トンネル静岡側坑門

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石部トンネル用宗側 新幹線日本坂焼津側 日本坂トンネル焼津坑門 新幹線トンネル用宗側坑門

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日本坂トンネル用宗坑門 石部トンネル石部坑門 用宗トンネル石部坑門 用宗トンネル静岡側坑門

明治のトンネル以降は.. おりからの文明開化?拡大する交通量に応じ、自動車や汽車など 諸々の交通機関の発達に
伴って、以降の峠越えはトンネルを作って..越えるが、当たり前になっていった!(^^)!
今回の日本坂峠界隈のトンネルは合計 9本あり、うち鉄道用は「JR東海道本線と新幹線」の2路線、3本あります(^^

と云う事で、旧東海道 :第六回目は、街道は峠越へからトンネルへ!(日本坂峠編) と題し 古代の東海道の日本坂峠
の旧東海道の下をくぐる「鉄道トンネル」を訪ねました! 画像がいささか古いのですが、ご愛敬と.. ご容赦下さい(^^;
やっぱり!(^^ FC2のマイブログの記事 内容は同じだし手間要らず..容量も極僅かゆえ..転記しちゃいます(^^ゞ
新/旧のマイブログ? どちらでも見易い方でご覧ください.. 画像には 背景が黒い方が見やすいと思いますが!(^^)!

旧東海道 :第六回目 街道は峠越へからトンネルへ!(日本坂峠編)
あの宇津ノ谷峠にトンネルが出現したお話は・・前回ですが、今回は古代の東海道の日本坂峠の「鉄道トンネル」?を訪
ねました! トンネルは合計で9本、うち鉄道用は3本あります・・・ 

近代に入り、様々な移動手段が出現し、自動車/汽車に船に飛行機! なかでも「汽車」は中距離移動の常套手段とな
って、やがて「電車」の全盛期へ! こうなれば所用で歩いて旅する旅人など皆無? 
街道も時代に合わせて、国道や鉄道へそして新幹線へと変貌を遂げてきていますね、お話のいきがかり上、新旧のトン
ネルを昔の峠道の視点から訪れてみました・・・

例によって正確な位置はGoogleさんの地図でこちらです、せっかくなので2枚目の画像を撮影した位置をマークします、
縮尺を変えて絶対位置を掌握してください。

先ずこれを・・・ とっ!? なんと鉄道+国道で9本もあります・・・ 海岸寄りの1本を除いて残り8本ものトンネルが、
日本坂峠の麓を貫通しています。
さしずめここはトンネル銀座? JR東海道線の石部(せきべ)トンネル坑門上の山から焼津側の眺め、遠景は藤枝方面
です、トンネル直前に8本の路線が並行しているのがお分かりですか?なぜか、3グループに分かれてる?

左端の2本が:JR東海道本線、中段は分かり難いですが:東海道新幹線と:国道150号バイパスが並行しています、
そして中央上の山際は:東名高速道路です、この間の距離は200~300m程度とかなり狭い範囲です、見えないが
右の山際に各々のトンネル坑門があります.. なお中央下の東海道線脇の家々は 焼津市小浜地区の集落です。

前景1
同じ場所を南側の小浜山の中腹から見ると・・・ トンネルへの路線が密集しているのがお分かり頂けると思います?
手前から:JR東海道本線:次はJR東海道新幹線:国道150号線バイパス(右手に坑門が見えます)奥が:東名高速
道路、一番奥は第一回目に登場した花沢集落です、手前は隣の野秋という集落です。
前景2
日本坂峠の最初のトンネルは宇津ノ谷峠と違って街道用ではなく鉄道用! 本編では鉄道用のトンネルのお話を進める
ことにします。   <国道用は(7)にて>

さて最初は旧国鉄の東海道本線用「石部(せきべ)トンネル」焼津小浜の坑門です、明治22年・旧国有鉄道・東海道本線
の開通と共に竣工、当初は静岡側の「石部トンネル」と焼津側の「磯浜トンネル」の2本が連なった単線でしたが、明治44
年に共に2本目が完成し2路線になっています、 
坑門は昔と違い現在は回りに邪魔な構築物もありますが、それでも竣工当時の面影を強く残していて、とても気に入って
いる坑門の風景です、それにしても坑門のすぐ脇のお宅、音がすごいだろうなー、
東海道線焼津
こちらは静岡側焼石部(用宗駅直西)の坑門です、石部・磯浜トンネルとも昭和37年の改修時に掘り直しされ上下線とも
繋ぎ無しの1本になっています、元の坑門はもっと奥のほうでした、坑門付近は崩壊し易いのかコンクリート製のポータル
でガードしていますね、石垣だけが昔のままかな?
東海道石部坑口
同じ坑門を用宗駅西の踏切から見ると・・・ かっては左手に海岸が見えたのですが、住宅が立て込んでしまって、SLが
走った昔の姿がなくなってしまって・残念です、、それでもコンクリート製の3つ目のポータル部?なかなか目を引きます
ね、、
東海道線用宗
2番目は現在の鉄道の主役! JR東海道新幹線の「日本坂トンネル」です、画像は焼津側の野秋坑門・・・ 思えばあの
D51の生みの親・機関車設計の天才「島秀雄氏」の東京発北京行き!「弾丸列車計画」(古い!)で、昭和16年着手・・
同19年、完成したものの計画中止で主人を失い! 行き場がなくなって、あえなく放棄? いやいや・・・
やむなく当時、石部トンネルを通っていた東海道本線を切り替えて通しました、しかしその後の昭和39年からは東海道新
幹線の上下線が通る様になったために、、現役の東海道本線を追い出した! なにかといわく付きの「日本坂トンネル」
です、
新幹線野秋
野秋口のポータル部をのぞいてみると、と弾丸列車用なので、開口も大きく今では当たり前ですが、上下線2本が収容できる構造
になっています、また珍しい丸い坑門が見てとれます・・・ しかし人が出入りするわけではないが、
何かごちゃごちゃと危険な作りですねー いささか心配です!
実は東海道新幹線を通すとき、更に静岡側石部に同名で別の石部トンネルを掘削して追加した1本が連なっていますが、それは後ほど 
新幹線内部
こちらが日本坂トンネルの東側石部の坑門ですが・・・ 当然ながら「立ち入り禁止」! 鉄条網だらけで、ガード固く厳し
い! この位しか近寄れません、
日本坂東1
そうだ・・・ いいことを思いついた! 鉄条網の隙間から、小型カメラだけ、恐る恐る?進入させてもらうと、おっ!しめた、
なんとか撮れました、小さいの(FinePix40i)こういうときは便利ですねー・・・
日本坂東2
これが上の「日本坂トンネル」の東側に連なる「石部トンネル」西側の石部坑門です、名前が東海道線のと同じですが、こ
ちらは当初からの新幹線用で、開業時に新設追加されたトンネルです。参考までに
このあたりの地図です、
新幹線石部1
石部トンネルの石部坑門です、ここも鉄条網!これ以上は近づくことが出来ません! 仕方が無いので金網に張り付いて
・・えいっやっ!と・・・ あれれ? 案外うまく撮れました!
新幹線石部2
これは石部トンネルの更に静岡側のやはり新幹線用に作られた「用宗トンネル」静岡側の坑門です、静岡からずっと高架橋の上を
通ってここでそのままトンネルへ接続しています、鉄条網もありますが、線路の位置が高く、周りに高い足場等?もなくどうにも接近できません、
新幹線関場東

という事で、日本坂峠のトンネルは合計9本です・・・ 宇津ノ谷峠より13年遅れて、明治22年から平成14年まで、116
年間に9本のトンネルが作られた事になります、、 

合計するとなんと13本・・・ これだけ集中している場所は国内でも少ない?いやここだけかもしれませんね?
その上、現在建設中の第二東名のトンネル・・・ 最低2本を加えると15本? こんなに掘りまくるなんて、技術が進んだ
のでしょうね、、すごい事です・・・

おやおや、「旧東街道」見て歩き? 変じていつのまにか、「トンネル見て歩き」!それも鉄道の!・・・ になってしまいま
したが、、いまや飛行機に船に鉄道に自動車・・・ 
昔のように歩いて旅をしなくなった近代の旅人にも広義の意味で、鉄道や道路はやっぱり「街道」?ですよ・・・もっとも宿場
や旅籠のある街道! とは意味合いが違って、単なる「移動路」? 宿場や旅籠、峠の茶屋のある風景!・・ね?
は望めませんが、、 といったところでしょうか? ということでで、このシリーズ、無理やり落ちに致しましょうか?、

本編はここまでですが、、登場したトンネルのお話に興味とお時間をお許しいただけるむきには? もう少し、、調べている
うちに興味津津な事柄がゾクゾクと、、

なんといっても・・・あのD51の生みの親・機関車設計の天才「島秀雄氏」の東京発北京行き!「弾丸列車計画」って・・・ 
眠っていた記憶をしっかり、呼び覚ましてしまった!

なんとロマンのあるお話ではないでしょうか、ひょんなことから、幼い頃に目を輝かせたノスタルジーが蘇ってしまって、、
いやー、散策から思わぬ新発見、眠れる原風景・・・ これで良いのです!ですよね、、

特に弾丸列車計画と東海道本線については、いま少しうんちくを・・・ たどって見たいです?? なんだか旧東海道・散策!
変じて、にわか鉄ちゃんの雰囲気になって来ましたが、、この手の寄り道はとても楽しいので、大好き!
ついつい深入りをしてしまいます・・・
※注 撮影時期が2005年7月.. と可なり古く.. 例のみかん色の電車の配色など当時のままですが、ご容赦ください!(^^)!




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Posted by アンセル at 12:00│Comments(0)旧東海道
 
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